海外でへ行くまでの経緯

 (51239)

インタビュアー 横澤 あゆみ(以下:横澤): 本日はよろしくお願いします。では早速なんですが、鍼灸師になったきっかけから教えていただけますか?
鈴木 淳志先生(以下、鈴木): よろしくお願いします。
きっかけは、2つあります。1つは、小学校2年生からプロを目指して野球をやっていまして、将来、もし野球ができなくなったらスポーツに携わる仕事や選手のケアに興味があり、どうせやるなら国家資格がとりたかったので鍼灸を選びました。実は、通っていた専門学校がちょっと特殊で、プロを目指して野球を学びひたすら野球に取り組む学科と、午前中に野球をやり午後は鍼灸の勉強できる学科がある学校だったんです。そして、鍼灸師であり内科医でもある異色の叔父の影響もあって、小さい頃から鍼灸には馴染みがあったので、やるなら鍼灸の資格をと思ったのがきっかけです。

横澤: 鍼灸師の免許取得後、まずは日本で働いたんですか?
鈴木: 免許取得後は、埼玉医科大学病院東洋医学科で実施されている卒後研修制度(1年間)を利用して、西洋医学をベースとした病態把握や治療法を学び、その後は、地元の大阪に戻って、病鍼連携を目指し兵庫県にある病院に就職し、そこで4月から9月までの5ヶ月間お世話になりました。

いざセーシェル共和国へ

横澤: そこからどうやってセーシェル共和国での仕事につながったんですか?
鈴木: きっかけは、学生時代です。野球で海外遠征(オーストラリア)に行った際、突然1日通訳をしなければならない日があり、大変でしたが、これがなかなかうまくいったんです。それが嬉しくすごく記憶に残ったんです。帰国後すぐ、この経験を膨らませていけば、将来海外に住み、鍼灸で生活していけるのではないかと思い、英会話の勉強をはじめました。学生時代は、その夢に向かって、夏休みを使ってアメリカに勉強に行ったりといろいろ精力的に活動してたんですよね。

それが、病院に就職してからは、9時ー5時で終わる安定した生活を送り始めたんです。就職してから5カ月たって、どんどん型にハマっていく感じに悩み、その安定した環境が実は非常に面白くなくなったことに気づいたんです。

ある日、兄に、「最近仕事はどうや?」と聞かれ、「今はなかなかやりたいことができてないからスッキリしない」ってことで話をしたら、シンプルに「死んだ時これやっておけばよかったーって、後悔することって何?」って聞かれたんですね。 その時、直感的に、海外で、英語で外国人たちと生活し、鍼灸を仕事にして食べていければ、それはきっと楽しいだろうなって、思って、それを答えたんです。

そしたら、「じゃ、それやれよ。」みたいな感じで言われて。そこで気づいたんです。「あぁ、これだこれだ!」って、あのワクワクする感じというか、「よし!目標ができた!」って。

横澤: お兄さんの言葉がきっかけだったんですね。
鈴木: そうなんです。すぐにそこから、職探しですよね。Facebookの「海外x鍼灸」グループに「セーシェル共和国」での求人が出ていたのを発見して、「おおぉ。なんだこの国は、全然知らないじゃないか!」から始まり、いろいろと調べたり、問い合わせしたり。職場でもお世話になっていたドクターに相談したら、頑張ってこいと背中を押してもらい、そこからはあっという間で、求人見つけて契約が決まるまで1週間弱だったんですよ。

横澤: もともと言語はどうやって習得したんですか?
鈴木: 英語はですね、地元に有名な英語専門の塾があり、小学校5年生から中学2年生までの4年間で、高校英語レベルくらいまではガッツリやってました。よく留学経験の有無とか聞かれるんですけど、実は全く無くて、それこそ、学生の時にアメリカに行った1週間とオーストラリア遠征に行った10日間の、17日間の海外経験だけで行っちゃいましたね。セーシェルに。

横澤: なかなかの勇気ですね。
鈴木: そうですねー。なんか気持ちの方が勝っちゃって。

セーシェル共和国での仕事・生活

現地での労働条件

 (51199)

横澤: 実際に、セーシェルでの勤務条件や生活はどんな感じだったんですか?
鈴木: 勤め先は鍼灸マッサージの治療院でした。スタッフは、鍼灸師の僕と、フィリピン人のマッサージセラピストの方と二人です。労働時間は、9時ー6時ですね。時間的にはだいぶゆるく、めちゃくちゃ自由ではありましたが、実は労働条件が非常に悪くてですね。多分、海外で働いている鍼灸師の方達の給料の中で、僕が1番低かったと思いますよ。僕はそれを自虐じゃないですけど、本当に海外で働きたいのか問われていると捉えていました。

横澤: 具体的に聞いてもいいですか?
鈴木: 給料は、月に一応、8万円もらえました。それで全て払っていかないといけないんですよ。特に携帯電話通信費が非常に高い国なので1万円ちょっとぐらいは必要で、残り自由に使えるお金って言ったら、6万円ぐらい。その分、物価は安いのかというと、高級リゾート地なので、そうでもなくって、実際に日本と同じか物によっては日本より高い感じです。変な話、大学生よりもお金なかったです。それでも、「絶対、将来につなげてやる!」って思ってましたね。

横澤: では、セーシェルでの生活で1番大変だったことはなんですか?
鈴木: そうですね。お金が大変でしたね本当に。うーん。なんで、やりくりできていたのか、いまだにわからないですもん。
外食はすごい高いんですよ。なので、ほとんど自炊か、ホームパーティーに呼んでいただいた時に、パーティー後の食事を「持って帰っていいよー」って言ってもらって、それで3日間くらい乗り切るみたいな生活でした。 セーシェルにも、日本人の方が何人かいらっしゃって、その方たちに、僕が体調崩したりとかした時とか、ご飯を持ってきてくれてたりして、いろいろと助けてもらいましたね。それがなかったら、あの生活は耐えれなかったですね。

横澤: 大変でしたね。それはかなり。
鈴木: 写真だけで見るとめちゃくちゃ綺麗で、最高のところで働いているなって思われていましたし、僕もそのテンションで行ったんですが、蓋を開けてみたら、契約条件は非常に悪いですし、毎日、馬車馬のように働かされて、って感じでしたね。

横澤: セーシェル共和国の治安はどうなんですか?
鈴木: かなり安全だと僕は思います。2年半住んでいますが、何か問題があったと言うのは特にないですね。人殺しとか聞いたことないですからね。人口も国全体で10万人弱しかいません。そのため、だいたいみんな知り合いなんですよ。ホームパーティーを開いても、みんなどっかしら家族のつながりがあるので争わないんですよね。争えないの方が正しいかもしれないですね。いいことも悪いこともすぐ噂になるので。

セーシェル共和国の鍼灸事情

 (51214)

横澤: セーシェルでの鍼灸事情を教えてください。鍼灸学校はあるんですか?
鈴木: 鍼灸学校はないです。他国からのライセンスは受け入れていて、ある程度、ちゃんと情報もアップデートしている人じゃないと更新はできないシステムです。

横澤: では日本の免許も受け入れてもらえるんですね?
鈴木: 日本の免許を現地で保健局に出し、現地のライセンスとして発行していただくというプロセスになります。テストはありませんが、面接ではいろいろと聞かれます。ライセンスは2年更新になっていて、更新の際に、2年間でどういう経験を積んできたかというレポートと、後は、例えば、授業やったり学会で発表した場合は、その資料を2つぐらい出さないといけません。それを国の保健局(保健省?)がチェックをして、この人は更新に値するような人物だと認定されれば、更新できます。

横澤: セーシェルの国民に、鍼灸治療は受け入れられているんですか?また、男女比やどんな年齢層が来るのか教えてください。
鈴木: セーシェル自体は中国政府と結びつきが強くて、ボランティアドクターや、中国の医療班が2年に1回くらい来るんですよ。その中には中医師がいて、政府の病院でその医師が鍼灸治療をしています。そのため、国民の認知度という意味では、鍼灸は知られています。 また、患者さんの男女比で言うと5分5分ですね。年齢層はやっぱり40代、50代が多いです。おそらく、この国全体で僕みたいな治療をやっている人や治療院がほとんどないので、10代〜80代と全年代の方に来ていただいていると思います。どの年代の人にもあった治療をやらなくてはいけないので、求められるものは、日本でやるより大きいかもしれないですね。

帰国後、再チャレンジ

 (51202)

横澤: セイシェル共和国では16カ月ほど治療院で働いて、そこから日本に帰ってきたんですね。
鈴木: はい。契約が終了したので、一度日本に帰ってきました。向こうで開業しようって決めたのは、2018年の年末に帰国し、2019年になってからですね。1カ月ぐらいどうしようかなって考えていたんですけど、年明けによし、向こうに建てよう!って決意しましたね。でも、そのお給料でしたから、全く手元にお金がなかったんですよ。ただ、作りたいものがあったので、色々な方に相談をさせていただきました。そこから、ストーリー性も面白いし、やりたいことのビジョンも明確にあるし、だったら、今はいろんな資金調達の形があるからクラウドファンディングっていう形でやってみるのもいいんじゃないかって、提案いただいて、やってみることになりました。

横澤: 当たり前ですけど、いろいろと大変だったんじゃないですか?
鈴木: 日本にいるときにクラウドファウンディングをスタートさせて、結果が決まっていない間に渡航してしまいました。無事に資金調達はできましたが、そこからも色々大変でした。最初に契約した不動産で開業準備をし、いざスタートするぞって時に、「契約に問題があり」となって、そこでは実現できないというトラブルが起きたり、他にも様々なことがあり、めちゃくちゃ時間かかりました。2018年の12月にプロジェクトとしてスタートさせて、そこから、クラウドファンディングの調整しながら、今年1月にようやくオープンしたので、1年かかりました。

横澤: せっかく準備したのに、一度ゼロに戻ってしまったんですね。それはキツいですね。
鈴木: 今思えば、うーん。かなりキツかったですね。でも、当時は諦めない気持ちしかなかったですね。
ただやっぱり、本当に前が見えないというか、光の見えないすっごい暗いトンネルの中でしたね。無理じゃないですか、正直そこまでいったら。「絶対これ無理だよね」って思っている自分もいるんですけど、なんか暗闇を歩く中でも、幻の光を自分で思い描いて、そこの1点だけを見つめて動いてましたね。でも、1日1日を楽しむようには心がけて、小さな幸せを見つけては最大限楽しむようにして、それをモチベーションに頑張ってましたね。

開業からコロナのため再帰国

横澤: そして、今年の1月にやっとオープンに漕ぎ着けたにもかかわらず、オープンから2カ月でこのコロナの状況が発生しちゃったんですね。
鈴木: そうですね。1月末にオープンして、営業日数としては51日間でしたね。

横澤: どういう状況でだったんですか?
鈴木: えーっとですね。3月下旬に最初の感染者がでてから3日で、日本でいう緊急事態宣言というか、そういう内容の大統領の演説がありました。まぁ、本当に小さな国なので1名出るって結構でかいんですよね。そこからトントンと3-4名ぐらい出てしまって、1週間経たないうちに、もうロックダウンしましょう。空港も全部閉めましょう、外国人観光客も一切受け入れません、今ここにセーシェル国内にいる人ももう出しませんっていう話が出てしまいました。そうなってしまったら、治療院は始めたばっかりなのでお金ないし、でも、仕事もできないし、今後、国からも出られないってなったら、やっぱり生地獄じゃないか、ってなりました。

治療院は一応営業はできたんですけど、セーシェル史上最悪というかこんなにウィルスが蔓延することってなかったので、人がビビり倒しちゃって、治療院に誰もこなくなっちゃいました。
1月からは本当にありがたいことに毎日ご飯食べる時間がないくらい忙しく、朝から晩まで治療をしている状況だったのに、コロナ出た日の2-3日後から、予約は全部キャンセルになりました。治療院が首都にあって、島の中で唯一人が集まる場所だったんですよ。だから、患者さんも「ちょっと怖いから、わざわざそんなところまでいけないわ。ごめん。」になっちゃって。そしたら僕、本当に食っていけないし、ヤバイな。って。できるだけ残って仕事続けたいという葛藤もあったんですけどね。

横澤: 日本に帰るまでも大変だったんですよね?
鈴木: 今日空港が閉まるっていう日に、僕は幸いにもセーシェルからは出ることはできました。でもその後、アブダビの国際空港では7日間も閉じ込められることになっちゃうんですけどね。日本に戻ってからも、実家の大阪に帰るまでいろいろ大変でした。

いやぁー。もう大変。怒涛の1年半くらいですね、ずっと。

横澤: では、今後の予定は決まっていないのですか?
鈴木: 今のところ、現地の空港が8月1日に開くって言われていて、それに合わせて帰ろうかなって思ってます。

現地でのコロナ対策について

横澤: セーシェルに戻った後、コロナの特別な対策など考えていますか?
鈴木: コロナの間は対策の必要ありましたが、セーシェル自体はすごく回復が早かったみたいです。感染者が見つかってすぐに、1週間以内にロックダウンで国を完全に閉めていたので、国の経済はもう普通に動いています。
セーシェルの国民性というか習慣として、マスクしなさいって言われても、絶対しないんですよ。
保健局のホームページでは、手洗いだったり、手指消毒だったりとか、ソーシャルディスタンスを守りましょうだったりとか、なんか日本と同様の感じです。ただ、セーシェルでの挨拶はやっぱりハグとキスなので、それをちょっとやめて、グータッチとか肘での挨拶に変えるとかそんなは取り組みがされているようです。

おそらく、治療院でフェイスシールドなんかしちゃうと、みんながびっくりしちゃうと思います。
違和感がすごい。めちゃくちゃこの人対策しているってなって、気を遣われちゃうと言うか、逆に見ていると嫌だってなると思いますね。対策しすぎるのも相手にとって良くないので、程よく、互いに親近感が湧くぐらいの対策をして、気軽に治療を受けてもらいたいです。心が緩まないと体も緩まないってところもあると思うので、やりすぎないようにしようと思っています。

そして、さらなる飛躍へ

横澤: 今後の計画や目標を教えていただけますか?
鈴木: 1番はとにかく、元に戻しつつ、また元よりいいサービスができるようにしていきたいと思っています。事業で言うと今年中に法人化を目指していて、2021年には人を採用することも検討しています。僕の考えややりたいこと等、一緒に何かを作るビジョンを共に描けるような人がいれば、是非来ていただいて、一緒に働けたらいいななんて考えていますね。

さらには、もうちょっと日本に近いところでもう1店舗開院と、そして、教育の場を作りたいと思っています。
日本人の方に、遊びに来てもらうような感覚で来てもらい、治療の勉強や英語の勉強を実際に海外でできる場所を作りたい!っていうのが、2022年までの(今年入れて2年半)の目標としてありますね。
1名採用して、自分が動ける時間を作り、そこから可能性を開拓していき、誰か協力者も募って、新しい施設をもう1つ作るっていうのが、ここ3年の目標です。

海外を目指す鍼灸師に一言

 (51206)

横澤: 最後に、これから海外を目指す鍼灸師に一言お願いします。
鈴木
ぺちゃんこになって、泥んこになって進んでいくタイプなので、あまり綺麗事は言えないんですけど、だからこそ思うのは、「何か準備をできてから実行するっていう発想はもったいない!丸裸でもいいからとにかく走っていく。その場にいく。とにかく動く」ってことですね。まず自分の思い描いた素直な直感にしたがって、「あぁ。これやりたいな、あれやりたいな。」を実際にやってみるっていうところが第一スタートです。で、やってみたら、案外できることと全然できないことが、わかってくるので、それから工夫をしていくって言うのが大事かな。柔軟で素直な姿勢でやっていけば、ある程度のことはできると思うので、どんどん自分の直感に従ってトライしていってもらいたいです。

あとは、「諦めずに」ですね。
「諦めずに」って言うのが、1番重要だと思います。やると決めたらやる!そこに大きな覚悟を持って取り組んでいってもらえたら、そういう人がたくさんいれば、ぼくも楽しいです。

海外出ている中だと僕が1番若くして、海外に治療院を出していると思うので、その辺詳しく聞きたい人がいれば、どんどん頼ってもらうのがいいかなーって思ってます。僕もそうやって、助けてもらってここまで来ているので、今度は、次の世代にどんどんつなげていきたいという思いが、非常にあります。感謝をつなげていくじゃないですけど、それができれば幸せなんで、僕でよければ、いろんなことをんどん、聞いてください!

<あとがき>
ご自身の夢や目標に向かって、いろんな困難に立ち向かいながら実現していくというたくましくキラキラとした話を伺うことができました。今後、セーシェル共和国に戻ってからのご活躍が楽しみですね。
コロナ禍中での帰国は日本に帰るまでにも色々とご苦労もあったようです。より詳しいお話は、プロフィールに記載のNoteなどで紹介されています。(インタビュター:横澤あゆみ)

プロフィール

 (51210)

鈴木 淳志 先生

経歴
2016年 3月
履正社医療スポーツ専門学校 卒業
野球コース/アスレティックトレーナーコース/鍼灸学科

2016年 4月 はり/きゅう師免許取得
2017年 3月 埼玉医科大学 東洋医学科 鍼灸臨床学研修修了
2017年 4〜9月 医療法人社団 大藤会 大藤診療所

2017年 9月末〜16ヶ月 東アフリカ セーシェル共和国
Traditional Chinese Medicine of Seychelles Director
現地クリニック勤務 院長

2020年 1月 セーシェル共和国 Atsushi Medical Boardwalk 開業

関連する記事

関連するキーワード

著者