海外志向の学生時代

インタビュアー 横澤あゆみ(以下 横澤): 早速ですが、ハワイ州の鍼灸師の免許をお持ちとのことですが、なぜハワイで?
清瀬 真一さん(以下 清瀬): 話は学生時代まで遡ってしまうのですが、もともと高校時代までバスケットで埼玉の強豪校に所属してバスケットをやっていたこともあり、将来はアメリカで活躍する日本人なりたいっていう憧れがありました。そのため、大学時代には交換留学プログラムを利用して、アメリカに行き、スポーツマネージメントの勉強をしたりしたのですが、色々な諸先輩方の話を聞いたり、自分で色々と挑戦した結果、現実の厳しさを知り、スポーツビジネスの業界に進むには、自分の情熱的にも経済的にも難しそうだとわかり、留学プログラムを終え日本に帰国しました。

横澤: その後、どうなったですか?
清瀬: それでも何かの形でアメリカに行きたいとは思っていて(それ以外に特別感がある目標がなかったので笑)、大学卒業後から2年ほどは、小さい子向けの英語の先生をしたり、地元の外国人が来るようなBarでバーテンダーをしながら、人に会って話を聞いたり調べたりしていました。

ある時、社会的に成功されている何十歳も上の方に、自分の今までの経緯を話し、アメリカでチャレンジしたいって話をしたら、「日本人としてアメリカスポーツビジネスで働くのは先もなさそうだし、キツそうだね。じゃぁ、健康産業はどう?」っていう話をしてもらったんです。「健康というのは、人から感謝される。人から感謝されるってことは、今後の人生を支えてくれるよ」と、今まで考えたこともなかった価値観を教えていただきました。

アメリカに行きたい!と思って色々行動していた時は、仕事でバリバリ活躍している30代、40代のイメージはしていたんですけど、その後までトータルを考えた人生設計みたいなところまではできてなくって、そのときに、60歳代の先輩の方に、そして社会人として成功されている方に、アドバイスをいただいて、この人がこういう風に考えるってことは、聞いた方がいいかなって思いました。

横澤: ラッキなー出会いだったんですね。
清瀬: そうですね。そこで、健康産業の中にも東洋医学ってものがあるぞと知りました。その方がハワイ在住ということもあり、調べてみたら、アメリカでは鍼灸と漢方も勉強でき、サプリ・健康食品とかにも精通できる。そして、施術して施設やクリニックもオープンでき、人にも知識として教えることができる。と、いろいろ広がる可能性を感じましたね。また、大学時代に留学していた時も感じましたが、アメリカで勝負するなら学歴とか知識じゃなく、やっぱり手に職があった方が良く、その中で東洋医学であればアジア人としても自分の特性を生かせるしと、いろんな方面で武器になりそうだなと思いました。

横澤: そのときに、日本の鍼灸学校っていう選択肢はなかったんですか?
清瀬: その時は日本にとどまることは、1ミリも考えていなかったので、そこの選択は考えもしなかったですね。実は、ハワイで東洋医学の学校行き始めてから、日本は漢方と鍼灸が別だって知ったぐらいの感じでしたからね。

ハワイでの修行経験

横澤: それでハワイで鍼灸師の免許を取得することになったんですね?
清瀬: そうですね。ハワイは、4年間のプログラム(大学院の資格)でした。アメリカの大学のシステムって、どんどん頑張って単位取得すれば早く卒業できるので、僕は3年で卒業しました。また、アメリカでは仮免許みたいな資格が、1年学校が終わると発行されます。アメリカの鍼灸学校は卒業のために、ある一定の実習時間を学校併設のクリニックでこなさないといけず(当時、ハワイは1000時間で350人ほどでした)、そのための仮免許ですが、学校外でも鍼灸師の免許のある先生のもとで実施できます。

横澤: いい制度ですね。日本にもあればいいのに。
清瀬: そうですね。(笑)
僕が修行させていただいたクリニックは、当時、ハワイでも繁盛していた日本人の先生のクリニックだったんです。その方は今から考えると50年前、アメリカでも鍼灸免許がまだない時代から、単身ハワイに渡り治療院をしていた先生で、毎日20〜25人くらいの患者さんが来ていました。治療はまず先生のとこに行って、先生が脈を見て、漢方を一袋まずそこで飲ませる。それから、治療室に入り、表1時間、裏1時間の2時間の治療を全員にし、帰りに、漢方を「5日分ですよ。」とか「2週間分ですよ。」と、処方する治療スタイルでした。

治療院は、なんでもやってましたね。瀉血もありました。漢方は全て手作り。八味地黄丸や桂枝茯苓丸などは、パウダーにした後、自分たちで蜂蜜混ぜて丸にしていました。紫雲膏とかも手作りで。

横澤: それは素晴らしい経験ですね。その治療院ではどのくらい働いたのですか?
清瀬: トータル3年ですね。2年生から通い始めて、3年生で卒業、アメリカでは学校卒業したら1年間働けるビザがもらえるので、そのビザが切れるまでの3年間です。その先生は、いわゆる頑固で口下手なおじいさん先生だったので、1回も教えてはくれなくって、見て盗めという感じで、脈も見てここに(鍼を)うったから、ふむふむみたいな感じで、頭を巡らせながら、3年間学んだって感じですね。

この伝統的な治療が後の仕事で生きてくることになるのですが、ここで3年間修行したことで、治療の真髄もふれられたし、さらに、ワントップ(院長一人)のクリニックの儚さを知りました。

ひとクセある職探し

横澤: ビザが切れると同時に日本に戻ったんですか?
清瀬: そうですね。その後、ハワイで開業するか、別のハワイの治療院に声をかけてもらっていたのでそこに勤めるか、あとは、日本に戻って学びを続けるか、その3つの選択肢がありまして、僕としては当然ハワイに残る方向で行動していたのですが、家族とも話し合った結果、もうちょっとビジネス的な部分で鍼灸や健康産業の勉強をしないとだめだということで、日本に戻りました。

帰国後は、業界の調査を含めて、ありとあらゆる健康に準ずる会社を見学に行ったり、人に会いに行きましたね。 医療コンサルをやるような会社、Yogaスタジオに”太極拳”を教えるスクール、某大手揉みほぐし店、そして痩身エステまで。

やはり鍼灸・リラクゼーション関連の会社は店舗の規模が小さいので、いろいろと感じるところがあり、次はスパという業種をみてみたいと思いました。

ホテルのスパセラピストさんにたまたま知り合いがいて、話を聞いているうちに、「あるホテルスパがアシスタントマネージャーの職を募集しているみたいだから見てみたら?」と教えてくれました。その時はまだそのリゾートホテルを知らなかったので、ウェブサイトみてみたら、めちゃめちゃなんか高級なところで、漢方とか伝統医学がうんたらってとかって書いてあって、興味が湧き、今にいたるって感じです。

点と点がつながった!!

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横澤: それで現在に至るってことですね?
清瀬:やっと点と点がつながってきたなって、実感できるようになったのは、日本で勤めた後、タイにある同グループホテル内のウェルネスセンターのプロジェクトに入ったぐらいですね。

日本ではシティホテルだったので仕事で扱う範囲は、スパのジム、プール等の施設、トリートメントはオイルマッサージやフェイシャルでした。そこから一転、タイのウェルネスセンターではスパ部門、フィットネス部門、ウェルネス部門、メディカル部門と範囲が増えました。ウェルネス部門では、今までの鍼灸師としての経験を生かして、ウェルネスプログラムに参加したお客様のコンサルテーションを実施し、滞在期間中のプログラムを作るといったこともしていました。

様々な健康部門を管理する以外に勉強になったのは、ホテルならではの空間づくりや、深いリラックスを作る空間が体にあたえる影響を感じられたことですね。実際にお客さんと接して感じたし、また、今まで自分が入り込んだことがないような空間に、治療室とベッドがあり、ここで治療したら、よりいいのだろうなっていう感覚ですね。日本で勤め始めた時に特に感じましたが、タイに行っても引き続きそこは思うことが多かったです。

ホテルが作る非現実的な世界ですね。

ハワイで鍼灸をやっていたときの話ですが、日本からハワイに来た人が治療を受けるとやっぱり治りやすかったりするんです。それって、気持ちが変わっているとか、ホテルのこういうふうな空間だと、ハワイで接したような現象があるんだろうなって、思いました。

(後半へ続く)

プロフィール

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清瀬 真一 さん

〈経歴〉
2012年 米国・ハワイ州 Institute of Clinical Acupuncture and Oriental Medicine(ICAOM)入学
2013年 中国広州中医薬大学・天津中医薬大学 研修
2014年 ICAOM 卒業、同州鍼灸ライセンス取得
2016年 帰国 
2017年 現在のホテルリゾートグループ、東京支店に勤務
2018年 同グループ内、タイ支店にてディレクターに着任
2020年 帰国

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