理学療法士の挑戦と成長:スポーツと海外での冒険

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ケアクル
本日はありがとうございます。
まずは桑原さんの生い立ちについてお聞きしてもよろしいでしょうか?

桑原
ありがとうございます。よろしくお願いします。
神奈川県の横浜出身です。

ケアクル
部活とかは何をやっていたのでしょうか?

桑原
高校サッカーくらいまで結構ガツガツやっていました。

ケアクル
神奈川県大会のレベルは高いですよね?

桑原
そうですね、ただ私の学校は中堅くらいで250校中の32校に入るかなくらいのところだったので、プロを目指せるような感じではありませんでした。

ケアクル
いえいえそうは言ってもかなり頑張らないといけないのできついですよね。
その後すぐに理学療法士の学校に進学したのでしょうか?

桑原
はい、高校が終わってからすぐに理学療法士の学校にいきました。

ケアクル
先日は母校でも講演をされていましたよね?

桑原
そうですね、まさか自分がとは思いましたが、これまで他も含めて3回くらいは登壇する機会をもらっていると思います。今年は富山の方の学校からも依頼をいただいて講演してきました。

ケアクル
そうなんですね。海外の経験をお伝えしたり素晴らしい活動だと思います。

桑原
これまで自分の経験もあり、海外というキーワードは色々言ってきたのですが、クラスの学生のうち2割くらいは海外に興味あるというような感じでした。円安やさまざまな社会状況も影響しているのかと思いますが、以前よりも少し増えてきている気もします。
ただ、海外には行きたくないと考えている学生もいるので海外における興味関心は二極化しているのかもしれません。それでも、海外の話をしてほしいという声や依頼は多いので一定のニーズはあるのかなと思います。

挑戦者の軌跡:キャリアのスタート

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ケアクル
キャリアのスタートやこれまでの経緯をお聞きしても良いでしょうか?

桑原
当初は本当に色んなことをやっていました。リラクゼーションの店舗やフィットネスジム、あとは全然関係ないですが、飛び込み営業みたいなことも掛け持ちでやっていた時期もありましたね。
大手通信会社のネットワークを売り込むみたいなこともガツガツやっていたこともあります。

ケアクル
それはものすごい経験ですね。やはり誰でもはじめは多様な経験をしているのですね。

桑原
そうですね。それで飛び込みでクライアントを開拓できるかな?と思って自分でチラシを作り、住宅街の玄関先で飛び込み営業をしてみた時期もありましたね。

ケアクル
それもまたすごい経験ですね。それは実際ご新規を取れたりするものなのでしょうか?

桑原
ほとんどダメだったのですが、一件だけクライアントを開拓できたことはありましたね。
その方が海外の方だったので、そういうのにあまり抵抗がなかったからなのかもしれないですが、いいお客さんになってくれました。よくよく聞いてみたら、どこかの国の大使だったようで、すごい方だったみたいです。そんな出会いもありましたね。

ケアクル
そうやって開拓されるものなのですね、実際にやっているのが本当にすごいです。

ケアクル
元々ガッツがあってどこでもぐいぐいいけるタイプだったのでしょうか?

桑原
いやそういうタイプではなかったのだと思います。飛び込み営業もなかなかうまくいかなくて苦労していた時期がありました。全然契約が取れない時期もありましたね。

ケアクル
学校を卒業して資格を取得してからは、いわゆる病院には就職せずにお仕事されていたのでしょうか?

桑原
そうですね。横浜のランドマークタワーにあるフィットネスクラブで働いていたこともありました。高級層向けだったので、自費によるコンディショニングを担当している時期もありました。
なので、飛び込み営業やフィットネスや整体リラクゼーションなどを掛け持ちしていました。
この期間はたしか、1年間か1年半くらいだったと思います。
とにかく道を模索している時期でした。

アドバイスに導かれて:理学療法士のオランダでの挑戦

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ケアクル
そのあとは、すぐオランダに来たということですか?

桑原
そうなります。
海外を目指すきっかけについては、専門学校の3年生の時、すでに海外に行きたいと思っていたんですね。
いつかは、海外のサッカーチームで働いてみたいと考えていました。
それで、理学療法士になりたいと思ったのは中学生くらいの時でした。
自分がサッカーで膝の内側側副靱帯を損傷した時に治療を担当してくれた先生が理学療法士の方で、そこでこの職業を知ることになりました。
あとは、大きな理由は2つあって、1つは小学校の卒業式に夢を叫ぶみたいな企画があって海外でサッカー選手になりたいと言っていたのです。
2つ目はサッカーに対して、サッカー選手になりたいと言っていながらどこかで100%の努力をできていなかったなという自覚と反省がありました。
そうした時に、次に目標を持つのであれば高い目標を掲げようと考えたのです。
それで、上を目指すのであれば海外で活躍したいと、自然に志すようになりました。

ケアクル
日本でも施術やトレーナーの仕事はあると思うのですが、まずは国内で経験してから海外に出ていこうとかは考えなかったのでしょうか?
そして、なぜ行こうとした国がオランダだったのでしょうか?

桑原
そうですよね、でもそこは海外にいきたいという気持ちを無視して待つことはできなかったのでので、その時の自分の気持ちをちゃんと自身でフォローしたうえで、オランダにすぐ行く事を選びました。
きっかけは、たまたま専門学校の3年生の時に、外部講師を呼んで開催された学内セミナーがあったのですが、そのスペシャルゲスト中にいらっしゃったのが、日本オランダ徒手療法協会を運営する土屋 潤二先生でした。
その後の懇親会で、私は将来的に海外のサッカーチームで仕事をしたいと考えていることを話しました。すると、土屋先生から「オランダがいいよ」と提案してくれました。理学療法士やフィジオセラピストの教育水準が高いため、オランダでの経験が有益だろうとアドバイスをしてくれました。
このアドバイスが結果的に、私にとって大きな影響を与えたと思います。

移住の道:オランダのビザ取得奮闘記

ケアクル
やはり人生には、必ず大きな出会いがあるものですよね。 
そのあとはビザなども含めて計画的にこちらに移住したのでしょうか?

桑原
当初はノープランで、ビジターで来ました。
まず最初は家を探すというか、衣食住をどうしていくか、どう生きていくかを考えていましたね。
当時は、カウチサーフィンのサイトがあってできるだけお金がかからないように生活をしていました。
そうこうしているうちに、奇跡的に一旦無料で住める家を見つけることができました。
本当に良い人に出会いました。

ケアクル
非常に興味深いです。

桑原
家が見つかったので今度はビザです。
フリーランスのビザが取れるのは聞いていたのですが、手数料やデポジットなどで70万円から100万円くらいかかるということで、そんなにお金も用意がなく、半ば諦めていました。
その時に、1ヶ月くらい悶々としていたのですが、移民専門の弁護士が無料相談をしていて、そこに話を聞きに行きました。
その時に、その弁護士さんがビザは取れるよと言ってくれたのです。
ただし、ビザ取得時にルールとして決められた貯金残高は必要だということになりました。
しかし、それに必要な貯金残高を証明できるほどの現金が手元になくて困っていたのです。

その時にたまたま本屋で出会ったオランダ人のおじさんがいて、話をしているうちに意気投合して自宅での食事に誘ってくれたのです。
それから、1回、2回、3回と複数回行っているうちに、ビザの話をしていたら、その方から『あなたを信用できたら、あなたを助けたい』と言ってくれました。
お金のことなので、はじめは断ったのですが、よくよく考えて当時は残高を証明できれば良かったので、口座にお金は入れますが、自分では簡単に引き出せないような環境を作る提案をしたところ、快くOKと言ってくれました。
そこから、5000€を送金したり手続きを進めて、やっと初めてのビザを取得できたのです。
これは、初めのビザの2年間はずっと借りたお金を口座にそのまま維持させてもらい、次のビザ取得で5年間の滞在が確保できたので、その時にやっと返すことができました。
これが私のオランダ生活のスタートでした。

オランダでのキャリア開始:サッカーチームでのインターン

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ケアクル
ものすごいストーリーですね。
そのあとはやっと仕事ができるようになったのでしょうか?

桑原
結果的にビザの取得はできたのですが、そこで手持ちの現金がほぼすべてなくなってしまいました。
当初はやることをやりつつも、働くにしても言葉もしゃべれないし、まだ何もできる状態ではなかったので、現地で知り合った人の中で何か困っていることや手伝えることはないか?と聞いてまわり、とにかくやれることからはじめましたね。

例えば、アーティストの展示会で必要な搬入や搬出、ギャラリーの掃除や運営などをお手伝いをしているうちに、その方が周りの方を紹介してくれて、そこから徐々にではありますが、クライアントを獲得していくことができました。
その後は、そうこうしているうちに、ビザ取得時にお金を貸してくれたオランダ人の方がスポーツ現場に携わっている理学療法士の先生を紹介してくれて、研修をスタートすることができました。
そこから、さらに紹介を受けてオランダ4部のサッカーチームでインターンとして受け入れてもらえたのです。

ケアクル
壮大なストーリーですね、やはり行動していると色んな出来事があるものなのですね。
さらにどんどんお話を聞きたくなります。

桑原
そこから、そのアーティストの方がギャラリーの一部を使って良いと言ってくれて、当初は初期費用をかけずに開業させてもらうことになりました。
その時にマッサージベットも、お世話になったオランダ人の方がプレゼントしてくれて、本当にありがたかったです。まさに初期費用ほぼ0円の治療院スタートになりました。
本当に感謝しています。

言語の壁と信頼の構築:海外での理学療法士の挑戦

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ケアクル
そこからはさらにどんなキャリアを歩まれてきたのでしょうか?

桑原
施術するスペースは確保できましたが、それだけでは生活できないので、本当に色んなトライをしましたね。
オイルマッサージの店で働いたり、オランダの新聞配達をしたり、バーで働いたこともありました。空いてる時間はとにかく働いていましたね。
資格の書き換えをしようとしていたので、それまではと思い頑張っていました。
日本のカリキュラムを自分で英訳したり、オランダ語の試験もあったので本当に長い道のりでした。
理学療法士の資格を書き換えるのに、全部で5年間くらいはかかっていると思います。

ケアクル
苦労に苦労を重ねてますね、頭が下がります。

桑原
そのあとはオランダ代表や柔道協会のトレーナーも経験しましたね。
そこから現地の理学療法士の元で働いていたのですが、医学用語が分からなかったり、お前は指圧師なんじゃないのかと言われたり、信用してもらうことが難しく、さまざまなトラブルもあり言語の壁もあり、本当に苦労しましたね。
ただここでたくさん治療や考え方についても勉強させてもらうことができたのでそれが今の自分にも活かされていると思います。

プロのスポーツ界へ:サッカートレーナーのキャリア

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ケアクル
オランダ語の勉強を続けていますか?

桑原
ボランティアの方と週一回話をしたり、新聞をみたりはしてましたね。
なんとなく3年くらいした頃に少しずつオランダ語がなんとなくわかってくるようになりました。柔道のトレーナーの仕事で現場に入りながら覚えた部分もあると思います。

ケアクル
そこからサッカーのトレーナーがいよいよ本格スタートしていった感じでしょうか?
活動内容や報酬についてもお聞きできる範囲で聞いても良いでしょうか?

桑原
柔道やサッカーのトレーナーをそれぞれ掛け持ちをしながら往診をしたり、施術をしたり忙しい日々を送ってきたと思います。
練習や試合帯同も日数が多かったのですが、報酬はかなり少ないです。
そのあとはプロ2部のアカデミーについた時期もありましたが、報酬ゼロの時もありました。
次にプロ1部のアカデミーにつきましたが、ここもかなり報酬は安かったですね。
その頃にちょうど、現地の理学療法士の資格を無事に取得することができました。
そのタイミングでベルギーのサッカーチームからオファーが来たのです。

ベルギーからのオファー:経験した実績とこれからの展望

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ケアクル
ここでオファーが来るんですね、すごいタイミングです。
この時に話も聞いても良いでしょうか?

桑原
ベルギーのサッカーチームの社長からオファーを受けてそこのトレーナーを引き受けることになりました。資格も取れてオランダでも働いていたので、ベルギーまでリースした車で通っていましたね。
2019年からこのサッカーチームでトレーナーをしていました。
ここでは人との出会いにも大きな変化がありました。
そこから途中でコロナになってしまいましたが良い経験ができたと思っています。
ここで一緒になった選手から専属のオファーをもらい、その選手のトレーナーをやっています。
なので、1年間チームについて、そのあとは選手に1年間ついた感じですね。
そこから一旦この仕事は一区切りついて、現在はトレーナーとフィジオの治療院を掛け持ちして活動を継続しています。
まだまだ勉強したいことも多いのでたくさんトライしていきたいですね。

ケアクル
今後のお仕事や目標についてもお聞きして良いでしょうか?
他の国やリーグも考えていらっしゃるのでしょうか?

桑原
そうですね。海外のトップリーグやトッププレイヤーのトレーナーなど常に上を目指してやっていきたいですね。近々の目標は、今はアヤックスのチームにアカデミーでもどのポジションでも入ってみたいですね。あとはその先は色んな話もあると思うので、常に良い意味での欲は持っていたいですね。

ケアクル
そうですよね、今日は貴重な話を聞かせてもらいありがとうございました。
今後のご活躍を陰ながら応援いたしております。

プロフィール

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名前: 桑原秀和(クワバラヒデカズ)

【経歴】
・横浜市立南高等学校卒業
・岩崎学園 横浜リハリビテーション専門学校 理学療法学科 卒業 (2013)
・V. V. Spijkenisse (2014〜2016)
・KVV Quick Boys (2016〜2017)
・Almere city FC u17 (2017〜2018)
・Judo Bond Netherland (2017〜2019)
・SBV Excelsior u17(2018〜2019)
・STVV (2019〜2020)
・サッカー選手専属トレーナー(2020年〜2022年)
・アムステルダムクリニック(2022〜現在)
・Sparta Rotterdam youth team(2023〜現在)

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