建部 陽嗣(たてべ はるつぐ)先生〜プロフィール〜

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国立研究開発法人量子科学技術研究開発機構 放射線医学総合研究所 脳機能イメージング研究部研究員
はり師・きゅう師
医学博士・鍼灸学修士

-大きなお寺の末っ子として生まれ英才教育を受ける-

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村中 僚太(以下、Ryota):建部先生、本日はよろしくお願いします。まず幼少時代のことからお伺いしていきたいのですが、先生はお寺の息子さんということで間違いないですか?

建部 陽嗣(以下、建部先生):よろしくお願いします。 はい、僕はお寺の生まれで4人姉兄の末っ子です。 地元の人であれば誰でも知っているような結構大きいお寺で、昔はお手伝いさんが常に家にいました。生活自体は贅沢というわけではなく割と質素でしたが、僕としては普通の家、特に団地に住んでみたいなーとか思っていましたね(笑) 親が教育熱心ということもあり、小学校の時はバイオリン、ピアノ、水泳、ヨット、柔道といくつも習い事を掛け持ちしており、分単位でスケジュールが決まっていたため、友達と遊ぶ暇があまりありませんでした。

Ryota:それは凄いですね(笑)周りの友達と比べて、もっと遊びたいとかそういう願望は無かったんですか?

建部先生:特に無かったですね。上に3人姉兄がいて、姉や兄も同じようにやっていたのでこれが当たり前だと思っていました。中学受験をして国立の中学に入ったのですが、小学校の時は勉強しなくてもテストで大体100点を取れていたのに、地元のエリートが集まる学校だけあって自分より賢い人はいるんだなぁと初めて挫折を経験しました。しかし野球部ではキャプテン、そして生徒会長を務めるなど割と精力的に活動していたと思います。

Ryota:高校時代はどうでしたか?

建部先生:僕の地元では高校のランクによって子供の価値が決まるようなところがあるのですが、なんとその高校受験に失敗してしまいまして、それも大きな挫折でしたね。そうして、第2希望の浜松日体高校の特進クラスに進むのですが、部活に入ることは許されず、勉強に明け暮れていました。おそらく勉強することは嫌いでなかったと思います。とりあえず目標も無かったし、父からはお前は何か手に職をつけろと言われていたので医学部を目指し、福岡大学の医学部に入りました。

-医学部中退という大きな挫折、そこから鍼灸の道へ-

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Ryota:何の目標もなくて医学部を目指して、そして入れてしまうのはかなり凄いと思うのですが(笑)しかし先生の経歴をみると大学中退と書かれていますが医学部を中退したのはどういった経緯ですか?

建部先生:初めて親元を離れて暮らし、当時やりたかった音楽(バイオリン)に没頭してしまったのは原因の一つだと思います。B’zが福岡に来た際『LOVE PHANTOM』という曲のバックでバイオリンを弾ける人を探していて、当時福岡大学のオーケストラでコンサートマスターをしていた自分に声がかかりました。勉強面では、解剖学や生理学など大学から始まった教科に簡単についていけなかったのも、勉強に熱が入らなかった原因の一つだと思います。3年生の終わりに、留年が決まったところで親に「もう無理かもしれない。」と正直に打ち明けました。

Ryota:家族から大学を中退することに関して反対は無かったですか?建部先生は前から鍼灸を知っていたのですか?

建部先生:医学部を辞めるとなったときに家族会議が開かれまして、母や姉たちは反対でしたが、父は認めてくれました。しかし、私立の医学部なのでお金も相当かかっていた為、家には申し訳ないという気持ちはありました。翌年、三重大学の哲学・心理学専攻に3年次から編入できることになったのですが、医学部での勉強を活かすことはできないかと思い、最終的に明治鍼灸大学を受験しました。鍼灸治療は自分が中学時代に腰痛になった時何度か体験し、効くなーという実感があったくらいです。

Ryota:実際に入学してみて鍼灸に関する勉強はいかがでしたか?

建部先生:当時医学部からの編入は初めてだったようで、医学部のときに取得した単位を認めるかどうか、教授会議にかけられたようです。今まで割とエリートの道を歩んできたので、同級生の学力には驚きましたね(笑)。入学してすぐ、東洋医学というものをなかなか受け入れることが出来ずに苦労しました。それでもくらいついていったら、当時はスポーツ鍼灸というものが流行っていて注目されていたのですが、スポーツ医学は怪我させないことが一番だろうと思っていたので、僕が思う鍼灸の良さはそこには無いと悩みました。そして、パーキンソン病の研究をされていた江川雅人先生のゼミに入ることで方向が決まっていきます。

Ryota:そこから明治鍼灸大学の大学院を出て、その後京都府立医科大学の大学院に行かれた理由はどうしてですか?

建部先生:明治には、常勤の脳神経内科の専門医はおらず、もっと上を目指すならと思い、京都府立医科大学で医学博士を取り、研究と臨床にうちこみました。  臨床に関して言うと、僕はアカデミックな環境に身を置いているので、現代医学的な考え方のみで治療すると思われているのですが、実は、中医学など東洋医学をベースに鍼灸治療を行なっています。 なぜなら、例えばパーキンソン病患者さまの筋肉を緩める目的で、一つ一つの筋肉に鍼をしていたらとんでもない数の鍼を刺さないといけないですからね。もちろん、現代医学的な解釈で、筋肉や神経を刺激もします。それこそ流派の先生方に嫌われる和洋折衷ですね。
そして、今は量子科学技術研究開発機構というところに身を置いて研究を行なっています。どんな研究をしているかざっくり簡単に説明しますと、アルツハイマー病やパーキンソン病などの神経難病を血液検査で診断する、そのような研究をしています。もしこれが可能になれば、神経難病を早期に診断できるので、臨床レベルで実用可能になると、予防医学の道筋ができ、鍼灸師の活躍の場も増えると思っています。そういった意味で今の研究を進めることで業界に恩返しできるのかなーと漠然と考えています。

-鍼灸業界への想い-

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Ryota:先生は教育現場に長く携わり、そして今は少し外から鍼灸業界を眺める様な形になっていますが、最後に何か教育、そして鍼灸業界に対して言いたいことはありますか?

建部先生:今の教育現場に多くの批判があることは重々承知しています。鍼灸の教員を要請する立場だったころ、プロを育てるよう自覚を持つように指導してきました。その際、とあるすし職人専門学校のお話をさせていただきます。たった3か月の養成学校の学生さんと卒業生だけで運営しているお寿司屋さんが、大阪でミシュランの星を獲得しています。今の専門学校は、寿司といっても回転寿司の厨房係を作っているようにみえます。回転寿司もリーズナブルで美味しいのですが、単に寿司を形作ることだけではすし職人とは世間的には認められません。一流の職人を専門学校で養成することは無理と思うかもしれませんが、寿司職人の世界でできて、鍼灸界でできないはずはないと思っています。
もちろん、師弟制度があるような院に入って、お師匠さんからじっくり技術を学ぶことは否定しません。ただ属している流派や師匠のやり方と違うからといって、他を否定するのではなく、時には柔軟に意見を取り入れたりしながら、常に自分の頭で考えていける鍼灸師が増えてくれると嬉しいですね。
また、教育現場の先生と、臨床をされている先生との軋轢・ギャップみたいなものは感じています。臨床されている先生は、鍼灸学校が国家試験の予備校になっていると批判します。確かに、教育現場の難点は先生達が臨床ベースで指導ができていないところはあります。なので、臨床の先生方の中には、学校の先生を下にみているようにすら感じます。本当にそうでしょうか。
現在、鍼灸学校の生徒の質は、かつてのものとはやはり変わってきているんですよ。悪くなったとは言いませんが、格段に良くなっているとも思えません。そんななか、年々難しくなっていく国家試験に対して、今でも高い合格率を維持できていることは先生方の力だと思うんですよね。今の国家試験レベルだったら、私も受かっていたかどうか…。これからは、臨床と教育、お互いが歩み寄っていくことを願っています。

-師のいない鍼灸師、建部先生-

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インタビューを通じて、先生は常に自分の頭で考えるということに重点を置いているように感じました。東洋医学にしても、美容鍼灸にしても、勉強会に行ったり、師匠に教わって終わりではなく、なぜそうするのか?を常に考え、疑問を持ち続けることで自分のスタイルを確立させていく。
教育に長く携わったからこそ、師に教わることより自分で考えることができる鍼灸師が増えることを願う建部先生。 これからも建部先生の活躍に期待が高まります!

インタビュアー

村中 僚太
鍼灸師・ケアマネージャー

2013年より豪華客船鍼灸師としてディズニークルーズ等に勤務、延べ4000人の外国人を治療
2019年12月 ジョージアに渡航し日本人初の鍼灸院Japanese Acupuncture Tbilisi開業

Note: リョウタ 豪華客船鍼灸師/Acupuncturist
https://note.com/harry27

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