小柳 弐魄(こやなぎ にはく)先生〜プロフィール〜

【略歴】
日本大学藝術学部文芸学科-中途退学
舞踏集団・大駱駝艦参加
身体均整法学園- 卒業
上海中医薬大学解剖コース短期留学- 終了
呉竹学園東京医療専門学校- 卒業
はりきゅう師国家資格- 取得
東洋医療臨床技術大学校アカデミー 終了
人間総合科学大学人間科学科- 卒業
現在
伊良林鍼灸均整院-AFINA-院長
身体均整法学園、“教務部長”、“内臓操縦法”、“観歪法”- 担当講師
一般社団法人 身体均整師会- 理事、副会長

Twitterでよくみかけるけど、この人はいつ寝ているんだろう?そして毎朝ニハク先生から届くLINE@そこから垣間見れる知識量はそれだけで本を執筆できそうな濃い内容。それでいてたまにZoomの集まりに顔を出すと冷たくあしらわれていたりなんかして(笑)この人は一体何者なんだろう。そしてそんなニハク先生が普段考えていることを聞いてみたい。 ということでお話しを聞かせていただくことになりました!

-文学にのめり込む学生時代、不登校気味ながらファンクラブがあった-

中学時代のニハク先生

村中 僚太(以下、Ryota):ニハク先生、本日はよろしくお願いします。ニハク先生はすごく知識が深いといったイメージがあるのですが、学生時代どんな感じの学生だったんですか?

小柳 弐魄先生(以下、ニハク先生):よろしくお願いします。 そうですねー、あまり学校に行かなかったですね。枠とかルールに縛られるのが好きじゃなかったんですよね。あと体力的にも朝起きて、学校に行くって結構辛いものがありました。今でも会議で長時間座っているのとかつらいですよ。

Ryota:そうなんですね。親は学校行かないことに関して寛容だったんですか?

ニハク先生:もちろん親には学校行けと言われました。特に中学は県内随一の進学校に通っていたので。でも学校は全然楽しくないし、周りの人たちをみんな幼いなと思っていたので。

Ryota:え?(笑)不登校だったのにその自信はいったいどこから来てたんですか?

ニハク先生:小学校三年生の時に祖父から買ってもらった「西遊記」を読んだんですね。それにめちゃくちゃハマってしまって、色んな人が書いている色んな解釈の西遊記を読みました。そのころから周りの知らないことを知っているという優越感からか、プライドがめちゃくちゃ高くなっていました。 中学のころは不良では無いんですが髪型とかも奇抜でしたし、進学校というのもあってかなり浮いていたと思います。そのころはファンクラブまで出来ていました(笑)

-文学を極めるための踊り、そこから身体への探求が始まる-

暗黒舞踏時代のニハク先生

Ryota:何となく高校時代までは楽しくなくても、大学に行ってみたらめちゃ楽しくなったとかよく聞くんですが、大学を中退されているということはニハク先生の場合は違ったんですか?

ニハク先生:僕の場合は大学に期待しすぎたんでしょうねー。日本大学藝術学部文芸学科に入学したんですが、結局そこで教えてる人たちって第一線で活躍している小説家とか物書きではない人じゃないですか、なのでそれで落胆してしまったというか、、今ならまた違った見方や考え方が出来たりすると思うんですけどね。 ただその時に長崎から東京に出てきたんですが初めての一人暮らしということもあって、それはとても楽しかったです。親がタバコを吸うのですが副流煙が無い生活ってこんなに楽なんだって(笑)

Ryota:ちなみにその大学時代に舞踏集団・大駱駝艦(だいらくだかん)に参加されたんですよね?大駱駝艦を知らなかったのでYouTubeで検索させてもらったら女性も半裸で全身に金粉を塗りたくって、結構奇抜なパフォーマンス集団ですよね。

ニハク先生:そうですね、僕も金粉塗って踊ってましたよ。普通の意味でのプライドなどは大駱駝艦ではかえって恥ずかしかったので、むしろどこまで破廉恥に突き抜けられるかというところに全力でした。 ダンス経験は全くなかったですが、僕は文学をやっていくために何か身体的に豊かな経験が無いといけないと思っていましたので、それで舞踏を選んだというのが大きいです。そこから身体を使って表現していくという所から今の身体均整法に繋がっていきます。しかしあくまでこの時はまだ文学のためという意識があったと思います。

Ryota:今まで学校と相性の悪いニハク先生ですが、身体均整法の学校はいかがでしたか?またいくつの時に入学されましたか?

ニハク先生:身体均整法学園に入ったのは26の時だったと思います。もうこの時は学校が楽しくて仕方がなかったですね。自分の興味と一致したのだと思います。

Ryota:それで治療家として食べていきたい。という感じになったのですか?

ニハク先生:いえ、あくまで自分のパフォーマンスを上げたり、表現の幅を広げる為であったり、身体に対しての興味が楽しくてそうさせていたのだと思います。まだ文学で食べていきたい気持ちもありましたし。しかしその学校を卒業してそのまま助手をやることになったんですが、開業もしていないやつが助手をやるのもどうかってなりまして、開業しました。

Ryota:開業してからはどうでしたか?集客とか困らなかったですか?

ニハク先生:それがとても楽しかったですね。今までレンタルビデオ店でバイトしてたので時給だったんですが、その時給と比べ物にならないくらい儲かるんですよ。自分の興味に近いことでしたし、天職だと思いました。集客に関してもレンタルビデオ店によく来てくれた常連さんが来てくれていました。

Ryota:レンタルビデオ店から整体院への転身ってあまりイメージが湧かないのですが、、(笑)

ニハク先生:レンタルビデオ店はとてもお客さんとコミュニケーションをとるものなんですよ。借りてまた1週間後くらいには返しに来るじゃないですか、信頼関係が出来てくるとオススメの映画を教えてあげたり仲良くしてもらっていて、レンタルビデオはお金持ちから貧乏人まで老若男女本当に様々な人が来るので、そこで今度整体始めるんですって言ったらレンタルビデオ店の時からの付き合いのお客さんが来てくれたんです。

Ryota:なるほど確かに。古本屋でそういったサービスをやっている本屋さんがありましたね。オススメの本を見繕ってくれるみたいな。もしかしてTSUTAYAもそこの価値を見出していれば今のような閉店ラッシュの状況にならずに済んだかもしれませんね。

-身体に対する学びを深めるために鍼灸の道へ-

Ryota:そこから鍼灸をやろうと思ったのはどういった理由からですか?

ニハク先生:鍼灸学校に入ったのは29の時なんですけど、まだ若かったのもあって国家資格を取っておくのも良いなと思いました。あとは解剖学といった体に対しての興味もかなり強くあったので、その辺りも学べるというのが決め手でした。あとは開業してそこそこ上手くやっていたとはいえ、病に対して知識不足な自覚もあったので、もっと学ばないといけないと思いました。 ただ今より治せていたような気もするんですけどね(笑)

Ryota:そこで鍼灸学校に行かれていた時もまだ文学で食べていく、という気持ちがあったのですか?

ニハク先生:いえ、その時自分でやっていた整体院がかなり調子が良くてこれだったら専門学校の学費も払えるなと思って、鍼灸学校に行こうと思いました。ただ学校に通い始めてから気づいたのですが、学校に行っている間は施術が出来ないので、収入が激減するんですね(笑) そのころから忙しすぎて本を読む時間が無くなってしまって、忘れてしまったという感じですね。

Ryota:なるほど(笑)本日はありがとうございました。ニハク先生の方から逆に最後に何か質問とかありますか?

ニハク先生:豪華客船からジョージアに移住して今のところ満足度でいったら100点満点中何点ですか?

Ryota:正直これは治療家としては怒られそうな回答になってしまうのですが、120点ですね(笑)とても満足しています。よくみんな余生って考えるじゃないですか。仕事が無ければあれやって、これやってとか。今全部僕それ出来てるんですよね。街から少し離れた静かなところにアパートメントを借りて、そこで鍼灸院を開きぼちぼち現地のお客さんに来てもらいながら、空いた時間は文章を書いたり、本読んだり、YouTube撮ったり。もう今の生活は自分にとって最高の余生なんですよ。 ニハク先生はどうですか?今の自分の人生に点数をつけるとしたら100点満点でいくつになりますか?

ニハク先生:悩みますが50点にしておきます。リョウタさんからのインタビューに答えていて、そっかぼくは挫折することから逃げ回ってきた人生なんだなという気がしてきました。とはいえ多くの評価もいただいてきましたし、逃げているとはいえ全力疾走してきましたからそこは100点。ただ後向きだという意味で0点。なので足して2で割って50点とさせてください。

Ryota:本日は長時間に渡りありがとうございました。最後に今後の展望等について、もしよかったらお聞かせください。

ニハク先生:今後の展望に関しては、臨床家としての説得力のある言説を打ち立てたいというのがあります。医療の世界ほど知と非知の断絶がハッキリしている分野はなく、現代医学やその教育を受けた医師の側に知のウエイトが傾いています。そこに当事者として風穴をあけたいというのも鍼灸や手技療法の仕事に情熱を感じている個人的な理由です。そしてこれは業界の発展と矛盾しないし、世のため人のためになる志だと信じています。

-孤独は優れた精神の持ち主の運命である-

ニハク先生は幼少時代から自分と他人に何か決定的な違いがあることを感じながらも、そこをあえて順応させることなく今でも自分の時間を大切にし、勉強などの時間にあてられているのかなあ。と感じました。
最後にニハク先生が話したように鍼灸師並びに、臨床家と呼ばれる職種の多くは知の部分で医者には敵わない。と思っている人がほとんどだと思います。しかしニハク先生はあえて知の部分で医師と対等、もしくは臨床家としてセンセーショナルな切り口で語れる程度にならなくては業界の発展が無いというふうに考えており、事実毎朝送られてくるLINE@からも凄まじいほどの知識量と勉強量をうかがい知ることが出来ます。
そんな壮大な夢を持ちながらも、時折お茶目な一面ものぞかせ、いじっても怒らないニハク先生。これからの活躍にますます期待です!
小柳弐魄(ニハク)先生:Twitter
https://twitter.com/nihaku

小柳弐魄(ニハク)先生:moshページ
https://mosh.jp/29123/home

伊良林鍼灸均整院-AFINA-
小柳弐魄(ニハク)先生の施術予約はこちら
http://www.nihaku.com/

インタビュアー

村中 僚太
鍼灸師・ケアマネージャー

2013年より豪華客船鍼灸師としてディズニークルーズ等に勤務、延べ4000人の外国人を治療
2019年12月 ジョージアに渡航し日本人初の鍼灸院Japanese Acupuncture Tbilisi開業

Note: リョウタ 豪華客船鍼灸師/Acupuncturist
https://note.com/harry27

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